辻斬り書評  -3ページ目

「鷲は舞い降りた」ジャック・ヒギンズ / 小説の教養

後日アップする予定の「コンスタンティノープル陥落」の著者・塩野七生がその代表作「ローマ人の物語」のなかで再三再四言表しているように、一文化圏で共有されるべき歴史教養というものがあって、ことヨーロッパにおいてはローマ史がそれにあたり、我が東洋では中国史が相当する。

かたや宗教革命やそれに連なる産業革命、市民革命は今日的な汎世界的歴史教養ということになるだろう。

ソ連崩壊に端を発する共産主義国家の破綻と冷戦構造の解体、それに伴う世界の多極化は、評価が定まり始めるであろう22世紀において、広く教養化される歴史事象だ。

こういった文脈を援用して本書「鷲は舞い降りた」を眺めたとき、本書の主要市場である英語文化圏において当時ナチス・ドイツがどのような位置づけ・定義をなされていたかに意識的でなければ、おそらくこの小説の存在意義の一部を見落とすことになるはずだ。



ヒトラーを首魁とするナチス・ドイツは、いわば西洋世界が自ら産み育ててしまった鬼っ子である。

後発組でありながら先行帝国主義国家群に迫りつつあったドイツ帝国を第一次大戦で降し、その後に締結されたヴェルサイユ条約で過酷な賠償金を課してドイツ国民に塗炭の苦しみを舐めさせのは、ほかでもない英米仏伊である。

その結果、当時これ以上ないとされた理想的な民主主義憲法を戴くワイマール共和政下でナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)は産声を上げ、やがて合法的にファシズム国家が誕生する事態を招く。

つまりナチスとは西洋世界が腹中に抱いたもうひとつの人格、ダークサイドのような存在なのだ。

なぜヒトラーのような人物が表舞台に登場し、ナチス・ドイツの狂気が出来したのか、西洋世界はある種の近親憎悪をも含んだ永遠の関心を抱き続けることだろう。


著者のジャック・ヒギンズはイギリス人であり、そのヒギンズが1976年に本書で宿敵ナチス・ドイツの軍人たちを一片の憎悪も反映させずに、どころか英雄的に描いたことがまず以ってセンセーショナルであり、こういった背景があってこそ、主役を演じたドイツパラシュート部隊の面々の印象が際立ってくる。

本書で明確に悪役の地位を与えられたのはSS長官のヒムラーくらいで、それも敵意というよりはこの人物本来の怪人的なキャラクターが招いた役割といえるだろう。

このあたり、たとえば旧日本軍の部隊が英雄的に描かれた小説が現代中国において生まれるかを考え合わせてもらえれば、多少意味合いは違っても本書の持つ特異性が明瞭になるかと思う。


順序が逆になったが、ここで物語のアウトラインを述べたい。

時は1943年。連敗につぐ連敗、首都ベルリンにまで及ぶ空襲を受け、いよいよ敗色濃厚となったナチス・ドイツ。

軍全体に厭戦気分が蔓延するなか、ヒムラーの強権により、戦略的には最早ほとんど価値のない作戦がひそかに発動される。イギリス首相チャーチルの誘拐である。

この荒唐無稽な作戦を、はっきりとそうと悟りながら死地に赴く、クルト・シュタイナー中佐率いる精鋭部隊ならびにアイルランド人の工作員リーアム・デブリンたち。

馬鹿げた綱渡りに駆り出されながらながらも、強靭な冒険者精神と結束力で粛々と作戦行動をとる彼らのキャラクターが実に爽やかに描かれており、ナチス・ドイツ的な狂信とは明らかに距離を取る言動や、一段高みに登った視点で戦争を語るセリフとあいまって、ほとんど敵味方の区別なく、恬淡とした男たちの物語が展開していく。

本書は戦争冒険小説でありながらハードボイルド的な言辞が多分に散りばめられており、その筋の読者層にも強く訴えかけるものがあるはずだ。

著者ヒギンズの弁によれば、この小説は半分が事実、半分が創作から成っており、その長いプロローグ部分で作者自身が登場人物となって、さびれた墓地の片隅に文字通り埋もれていた事実を掘り起こす場面は、導入としてはかなり効果的だ。

また、すべてが語られ、再び作者が登場するエピローグで初めて明らかになる事件の真相が実に衝撃的で、この後日談部分が削除されていた当初の不完全版は、不幸にして小説としての魅力が半減させられたものであったと断じていい。

この最後の仕掛けなかりせば、いかにベストセラーを記録した本書たろうと、果たして戦争冒険小説の傑作として長く読み継がれただろうか。


個人的にはドイツ人の名前に馴染みがないせいで、よく似た発音の登場人物が複数組いるのにはまいったが、そんな瑣末は別にして十分に楽しむことができた。

続編の「鷲は飛び立った」はあまり評判が芳しくないようなので避けるつもりだが、「死にゆく者への祈り」はいずれ読む機会が得られるかもしれない。



オススメ度★★★★



ジャック ヒギンズ, Jack Higgins, 菊池 光
鷲は舞い降りた (ハヤカワ文庫NV)









月日は百代の過客にして、行きかふ本もまた旅人なり

さて。

今日はakikoの「simply blue」なんかを聴きながら書いてます。

ジャズアルバムはスタジオ録音したものよりライブ音源のほうがいいケースが往々にしてあるけど、これなんかはその典型ですねー。

かっこいい女になりたい人はakikoをチェックしましょう。

ジャズに馴染みのない人は、小西陽康をプロデューサーに迎えた「リトル・ミス~」あたりから聴くのもいいかも。

なんて、さっき知ったんだけどアメブロにakikoのブログがあるんですねえ。ふーん。

好きなアーティストのブログなんざ、読みたくないっす。妙に距離感が近くなるのも良し悪しだよね。


てなところで。

トマス・キッドシリーズの無事リリース(3月12日予定)を祝して、ポポーンと更新していきましょう。

今回のお品書きは、百瀬明治「巨人 出口王仁三郎の生涯」、アリステア・マクリーン「女王陛下のユリシーズ号」、ジャック・ヒギンズ「鷲は舞い降りた」、ジェイムズ・カルロス・ブレイク「荒ぶる血」、ロバート・ウォード「四つの雨」、塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」の6冊です。



まずは1冊目、「巨人 出口王仁三郎の生涯」をば。

大本教の立役者にして、まあ時代の怪人物ですな。海外への布教を企図しエスペラントの研究・普及に力を注いだり、新聞社を買収してメディア戦略を展開したりと、おそらく近代日本の宗教者として彼ほど気宇壮大な人物もいなかっただろうと思う。これらの事績を早くも大正年間に手がけているんだから、その先進性には驚かされます。

僕は宗教そのものには宗派門派を問わずあまり興味はないんですが、宗教家と呼ばれる人には興味をひかれるところはありますね。好悪は別として、人間として破格な人物が多いのがその理由です。

もともと出口王仁三郎は満洲史に少し顔を出す関係でちょっと手を出してみたのですが、予想通りあまり関与がなくて、その点では収穫は少なかったのですが(関東軍が王仁三郎を満洲宣撫に利用しようとしていた節があったことぐらいかな)、大正から昭和初期にかけて天皇制が先鋭化するなかでの宗教弾圧の様相がわずかながらも垣間見えて、なかなかおもしろかったです。また、日本の宗教はつくづく御利益ありき、人前神後の定理に貫かれているんだなあ、と再認識させられました。

わりと一般的な話題としては、日本海海戦で知られる秋山実之も大本の信者だったそうな。

あと、予備校講師として有名(といっても僕はほとんど知らないけれど)な出口 汪は、王仁三郎の曾孫だということです。


しかし、まだまだ新しい宗教に関する書籍って、案外探すのが難しいんだよねー。

既存のそれとは違って、関係者なりシンパなり、対象に近しい人物がものした本がどうしても大勢を占めてしまうもんだから、フラットな目線で書かれたものをピックアップする作業が必要になってくるし。

出口王仁三郎ならこれを読め! という本を知っている方がいたら教えてくださいね。たぶん読まないだろうけど……。


オススメ度★★


ちなみに。

http://ameblo.jp/akiko-nwp/



百瀬 明治
巨人 出口王仁三郎の生涯―大本教大成者

akiko
simply blue
akiko
Little Miss Jazz And Jive
akiko, The Ska Flames
a white album(初回盤)










天才現る!

http://blogs.yahoo.co.jp/syuushigaku


古典的なニュータイプ(笑)。


http://blogs.yahoo.co.jp/syuushigaku/50462800.html


むしろ現代美術の作品としても成立しうるよね。


http://blogs.yahoo.co.jp/syuushigaku/50585733.html


この語感は最高ですネ。むやみに強度の高いセンテンス、「おしゃれこうべ」。キャラクター展開して、ゆくゆくは石景山遊楽園で取り上げられたい。


http://blogs.yahoo.co.jp/syuushigaku/40830469.html#53963239


天才は天才を呼ぶのですね。今日、僕は四国と世界との関係を知りました。「日本は世界の雛形で」とは、おぉ、 日本列島を横にすると世界地図に見立てられると看破した、かつての出口王仁三郎 の弁ではないですか!



退屈で退屈でしょうがない、という人はぜひ【最後の学門「秀思學」のすすめ さんを探訪してみてくださいね。

きっとステキな発見があるはずですよ☆

残念ながらブログタイトルにある http://www.syuushigaku.com  というURLは存在しないようです。

めんどうだ、という方はこちら でさわりだけ掴むもよし。
何気ない顔でサラリと、秀思學の真髄に触れておられます。

ちなみに、僕はスパモン教徒でーす。

ボビー ヘンダーソン, Bobby Henderson, 片岡 夏実
反・進化論講座―空飛ぶスパゲッティ・モンスターの福音書







明けまして。

どうも、お久しぶりです。

ブログに飽きたのと、たいしたアウトプットもなくなったのとで長らくまともに更新していませんでしたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

こんな廃墟ブログにもかかわらず年末年始のコメントをくれたmidareutiさんとjett氏、どうもありがとう。じぇんじぇん気づいていませんでした(笑)。

いまさらレスを付けるのも気恥ずかしいんで、これをもって返事に代えさせていただきまーす。

てなわけで、心を入れ替えたふりをしてちょくちょく書いていこうかな、と思わないでもない2008年でございます。



さて。最近なにを読んでいたかというとですね、しばらくぶりにペレケーノスをまとめて4冊ご馳走になったところなんざんすねえ。

まずは傑作とされている「俺たちの日」。そこから「愚か者の誇り」「明日への契り」と続いて、最後に「生への帰還」で締め。

「愚か者~」から「生への~」の3作は主にディミトリ・カラスという男を中心にワシントンを舞台とした犯罪群像劇が描かれていて、1作目では若く野放図だったディミトリが様々な転機や挫折を経て、最後の3作目では40代も半ばを過ぎ、ある出来事をきっかけに人生を失いかけるまでになるなど、それぞれ独立した物語でありながら大河ドラマ的な読み方もできる長編連作になっております。

劈頭の「俺たち~」だけはディミトリの父ピート・カラスが主人公となっており、解説によればこれがペレケーノスの出世作となったようですね。

これら4作品に共通するのは犯罪、ワシントンのギリシャ人コミュニティー(プラスその周辺)、生死をかけた男の友情、そして痛みです。


ほとんどの人物が人生の苦さを経験していて(それは敵役にも当てはまる)、だからこそ採りうる行動であったり決断であったりが、それはもう過不足なく描かれていると言っていい。

そこには当人だけにとどまらない世代を超えた因縁や繋がりがあり、上記の「カラスシリーズ」とほぼ軌を同じくする「ステファノスシリーズ」にそれぞれの登場人物が端役として顔を出したり、ときには重要な役割を果たすこともあります。

つまりこの4作とステファノスシリーズの2作とで、定点観測的にペレケーノスのワシントンとそこに住む人々の人生模様を眺めることができる、というわけですな。このあたりの重層性が、単なる虚構を超えたリアリティを小説に与えております。

なにより人としての痛みを知っている(もっというと、人生に痛めつけられている)連中がたくさん登場するので、もう若くはない読者であればあるほど身につまされるものがあったり、共感を覚えて胸を詰まらせたりするんですね。かといって小説世界は陰惨でも卑屈でもなく、登場人物それぞれが前を向いて歩いていて、現実と同じように猥雑で活気あふれる街の様が描かれている。

この、ある種犯罪小説らしからぬ溶解感に捕らえられてしまうと、もうペレケーノスの虜となってしまうほかない。シリーズをひととおり読むと、ひとつの人生を駆け足で体験したかのような不思議な感覚に浸れてしまうこと請け合い。

まだ未来しか目に映らない10代の若者には敢えて薦めないけれど、酸いも甘いもある程度噛み分けてきた大人の読書には、本シリーズはまさにうってつけ。

人生のほろ苦さと、それでも否定しきれない素晴らしさをコンパクトに同期させてくれるペレケーノスは、新年一発目のオススメです。



ちなみに、さんざん褒めてきたけれど、重層的な物語世界の構築という点ではペレケーノスといえどもトニーノ・ブナキスタの足元にも及びません。ブナキスタ(前作「夜を喰らう」 ではベナキスタと表示)の「隣りのマフィア」を読めば違いは瞭然。あれはすさまじい傑作です。


てな感じで、今年もよろしくお願いしまーす。



ジョージ・P. ペレケーノス, George P. Pelecanos, 佐藤 耕士
俺たちの日 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジョージ・P. ペレケーノス, George P. Pelecanos, 松浦 雅之
愚か者の誇り (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジョージ・P. ペレケーノス, George P. Pelecanos, 佐藤 耕士
明日への契り (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジョージ・P. ペレケーノス, George P. Pelecanos, 佐藤 耕士
生への帰還 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
トニーノ・ブナキスタ, 松永 りえ
隣りのマフィア (文春文庫 (フ28-1))
トニーノ ベナキスタ, Tonino Benacquista, 藤田 真利子
夜を喰らう

JET お前もか

今度はJetが活動停止だってさ。

またしてもワシの生き甲斐が削り取られていく……(ちょっと老いた)。


ソース的なもの

http://www.vibe-net.com/news/?news=0032555

うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

早川書房さんよううううううううううう。

「トマス・キッド」シリーズが翻訳打ち切り(かもしれない)とは、どういうことなんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。

夏には新刊が出ててもよさそうなのに遅いなあ、とここ何ヶ月もヤキモキしてたのに、そりゃないっすよぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。

こんなに面白くて魂が躍動して冒険心が燃えたぎる海洋冒険小説は他にないのに、貴様オレの生き甲斐のひとつを奪うつもりかーーーーーーーーーーーーー!

毎年新しいのが出るのを心待ちにしてるってのにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。

ふざけんな、コノヤロー!!!!!!!!


本当に打ち切るってんなら、もうてめえンとこの本なんか買ってやらないからな!

古本は買うかもしれないけどな!


早川のばかー(バカー(バカー(バカー(バカー………



ソース的なもの↓

http://redwinefleet.asablo.jp/blog/2006/09/18/527956



「新任海尉、出港せよ 海の覇者トマス・キッド5」ジュリアン・ストックウィン / 始まりと始まり

http://ameblo.jp/tujigiri/entry-10014807491.html


「愛国の旗を掲げろ 海の覇者トマス・キッド4」ジュリアン・ストックウィン / 文句なしの大傑作!

http://ameblo.jp/tujigiri/entry-10005785514.html


「快速カッター発進」 ジュリアン・ストックウィン

http://ameblo.jp/tujigiri/entry-10002184216.html


「蒼海に舵をとれ」 ジュリアン・ストックウィン

http://ameblo.jp/tujigiri/entry-10002158601.html


「みんな元気。」舞城王太郎 / これでいいのだ

みんな元気。/舞城 王太郎
¥420
Amazon.co.jp


舞城王太郎は「阿修羅ガール」「世界は密室でできている」「煙か土か食い物」を読了。ノワール読みとしてはファンタジー色の薄い「煙~」の系譜に、より期待したいところです。


本書「みんな元気。」は「阿修羅ガール」系の表題作(中篇程度のボリューム)に短編2つをあわせたもの。

ハイテンションな女子中学生が書いたようなつくりで展開される表題作を読んで得られた感慨は、「ホンマ、舞城王太郎はワケのワカランことを書きよるの~」であった。

感性の瑞々しいボッチャン・ジョーチャンなら、舞城王太郎のビート感に打たれまくって鼻血を垂らしつつションベンも漏らしてしまいそうなものだが、スレまくった読み手にかかっては適当に読み飛ばしされてしまうのだよ。フフフフ。

といってもツマランから飛ばすのではなくて、飛ばしても大勢には影響がないパートをかわすだけの話。

「煙か土か食い物」のように異様に密度の高いものはともかく、冗長な記述が頻発する「阿修羅ガール」系の作品は、スピード感を損なわないようにして読むほうがよい。

この手の舞城小説は瑣末に真髄は宿っておらず、むしろ総体として「煙か土か食い物」で表した彼の文学性の、いち枝葉としてとらえるべきだと思うのだが、あまたの舞城ファンはいかが考えるだろうか。

表題以外の2作は質量ともに読み飛ばせませんぜ、ちなみに。括目して読むべし。


なんて御託はともかく今回あらためて思ったのが、作家の値打ちの第一は「ほかにないもの」を創る点にあるということ。こうして文章にすると途端に通俗的に響いてしまうが、舞城とか戸梶なんかを読むと(チョイスが極端ですね、ハイ)しみじみそう感じるわけですよ。「煙か土か食い物」でも作中人物の口を借りて町田康への言及があったけど、型破りには型破りなりの理由がちゃんと存在していて、それは型に通じていないと立脚できない地点でもあるんだよなー。そこに自覚的じゃないと、ぶっ飛んだモノは創れない。


系統から何から違うので較べちゃ悪いのかもしれないけど、ちょうど読み終えた小川勝己の「葬列」なんて、茶木則雄も解説で一応持ち上げてるし横溝正史賞なんてのも受賞してるけど、オリジナリティなんて欠片もないもんな。や、内容うんぬんの話ではなくて、他の誰でもなく「小川勝己」が書かねばならない理由がまるで見当たらないことが絶望的なんですよ。似たような作品なり作風なりは、茶木則雄の説明をまつまでもなく既にゴマンとあるわけだしね。少なくとも奥田英朗の「最悪」を読んだ人は「葬列」は読まなくていいです。後者は前者のような袋小路の描写が薄いかわりに、派手なドンパチが用意されているだけ。「動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会」で東 浩紀が指摘しているデータベース型創作の見本みたいな出来なんだから、もぉ情けなくって仕方がない。その点、舞城の逸脱っぷりには安心して身をゆだねられます。

だいたいさあ、僕らが感動させられた創作物が基本的には再生産可能なコードの集合体だなんて一般化(by 東 浩紀)は受け入れがたいじゃない?

まあ、概ね外れてはいない指摘ではあるんですけどー。



てなあたりで、久しぶりの更新は終わりー。

あまり関係ないけど、今から考えると「世界は密室でできている」は舞城にとってはお遊びみたいなもんなのかねえ?


オススメ度★★★



動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)/東 浩紀
¥735
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ああ無情(前編)


草木も眠る丑三つ時ー。


崩壊した体内時計の再調整を期し、半ば涎まみれになりながら辛うじて眠りの縁に留まっていたのですが、なんということでしょう、突如として眠気がすっかり抜けてしまいました。

な、な、な、なんでやねーん!!

なんかね、「スコーン」という音が聞こえたような気さえします。

知らないうちに音速の壁でも突破したのかしら。

すごいね。人体の不思議だね。


てなわけで、久しぶりにエントリしてみます。

前後半に分けて都合10冊、ザックリとですが。

嗚呼、今度は眠りが怖い(お茶が怖い)。




岩井 志麻子
偽偽満州


別に満州が舞台やのうてもええやん、という内容。

ついた嘘に自ら騙されることさえできる天性の嘘吐きにして垢抜けた女郎が、ひょんなことから悪い男に惚れてしまい、殺人を犯して内地から満州へと逃亡するも愛した男に売り飛ばされ、愛憎のまにまに大陸を流れ歩くお話。

罪深き愛の逃避行という側面や、無縁ゆえの男への妄執を浮き立たせるための舞台装置とはいえ、あるいは同時代の日本にはないエキゾチックな雰囲気を演出したかったがゆえの「満州」であるのは理解できるけど、まー、悪いけど岩井志麻子は満州についての知識が薄いなあ。

なんて、歴史小説じゃないんだから別にいいんだけどねー(笑)。


岩井志麻子の一貫して「女」にこだわり続ける作風には最早オリジナリティさえ漂っているけれど、そのむせ返るような女臭のおかげで、僕ぁもうおなかいっぱいです(笑)。

あと、男女間の愛憎を妖しく細やかに描いたら、即、文学であるぞよ、と解説でのたまっている花村萬月にもまいった。萬月もすっかり女臭くなっちまったなー。



米村 圭伍
面影小町伝
米村 圭伍
退屈姫君 海を渡る (新潮文庫)
米村 圭伍
退屈姫君 恋に燃える


口直しに、とばかりに米村圭伍を三連発。

落語・講談調の語り口がなんとも軽妙洒脱で、読んでいるうちに自然と口元がほころぶ米村時代小説ではありますが、「面影小町伝」に限っては、これにさきがける「風流冷飯伝」「退屈姫君伝」とは明らかに毛色の違った作品となっています。

ほのぼの三部作の最終作のはずなのに、急転直下、やけに殺伐としたシリアスストーリーになっているじゃありませんか。登場人物も背景も共有しているのに、そりゃないっすよー!

たとえてみれば子供向け漫画が、ある回から急に大人向けの劇画になっちゃったような変貌ぶり。

もっというと、ドラえもんが突然ターミネーターになるようなもんで。

のび太もおちおち昼寝もできなくなっちまうぜ。


うへー、と辟易させられたところで書き下ろしの「退屈姫君 海を渡る」「退屈姫君 恋に燃える」を読み直し、やれやれすべて元通り。ほのぼのしていておもしろい。

しかし「面影小町伝」はいったいなんだったのだろう、いっそのこと無かったことにしてもらえないかしら。

米村さん、意欲はおおいに買いますが、そういうことならシリーズを分けるべきでしたね!



杉作 J太郎
男の花道


漫画エッセイとでも称すべきか。男の男による男のための作品、あるいは馬鹿な青春時代に捧げる学ランエレジー。でもね、おそらくは40代以上の読者にしか接続できないノスタルジーで満たしすぎですよ、この本。

というか、ピンポイントでその層を狙ってるんだろうけど。

いつの時代も男子は馬鹿だよねー、というお話。ザッツ昭和!



後半へ続く

「黒く塗れ!」マーク・ティムリン / ノワールとはなんぞや



E(エクスタシー)――誰をもとろけさせる悪魔のドラッグ。娘の友人がそれで命を落とした。許せない!俺はヤクで甘い汁を吸う奴らを制裁することを誓った。最強のマシンガンとダイナマイトを携えて、本命の麻薬元締めを追う元刑事の私立探偵ニック。いったい何人殺せば、終わりは来るのか?爽快、痛快のブリティッシュ・ノワール!(背表紙より)

あのねー。
なんでもかんでもノワールって言えばいいんじゃないんだぜ!
ノワールってのはさー、暗い情念や漠たる不安感とか、社会の不条理なんかを裡に秘めた犯罪(系)小説のことでしょ?
暗黒小説とも称されるくらいだから、自然と文学のかほりがしたりするんだよ。
ま、この定義には主観が含まれてるにしても、ホント売り文句ってアテにならないよな!!!!!!!!(怒)


とりあえず、この小説はクズです。
無頼な主人公が無軌道にドンパチして悪党を殺しまくるのが筋なんだけど、ご都合主義と単調な筆運びに染め上げられていてツマラナイこと甚だしい。
武器が欲しければ武器商人が登場するし、車が欲しければ中古車ディーラーが出てくるし、情報が欲しければ情報屋が出てくるし、しかもそれがすべて主人公の昔馴染みときたもんだ。
その都度その都度、適材適所の人間が実にインスタントに登場しては主人公に欲しいものを与え、鮮やかに作者に孝行するんだから笑ってしまうよな。
お前は「えの素」か、と(笑)。
ギャグならギャグと初めから言っておいてほしいもんだよ、まったく。

てなわけで、この本は決して読んではいけません。

特にブリティッシュ・ノワールと聞いて「トレイン・スポッティング」を思い浮かべた人なんかね。

本国ではテレビドラマ化もされた人気シリーズなんだそうで、とすると訳が悪いのかなー?



マーク・ティムリン, 北沢 あかね

黒く塗れ!



オススメ度★



榎本 俊二
えの素 1 (1)
榎本 俊二
えの素 2 (2)
榎本 俊二
えの素 3 (3)


「風が吹いたら桶屋がもうかる」井上夢人 / これもひとつのリアリティ

井上 夢人
風が吹いたら桶屋がもうかる  


こういうツマラン小説があってもいーね。

本格ミステリへのアンチテーゼという立ち位置で。


毒がないぶん噛み応えには欠けるけど、小説の多様性や楽しみ方を再確認させてくれる佳作。

お気楽、極楽で読みましょー。



オススメ度★★★