辻斬り書評  -41ページ目

「蒼海に舵をとれ」 ジュリアン・ストックウィン

著者: ジュリアン ストックウィン, Julian Stockwin, 大森 洋子
タイトル: 蒼海に舵をとれ―海の覇者トマス・キッド〈2〉

海洋冒険小説、海の覇者トマス・キッドシリーズ第2弾。
時は18世紀イギリス。前作で、半ば誘拐じみた『強制徴募』により無理矢理水兵にされた若き青年キッドは、幾多の過酷な試練を乗り越え、いまや立派な一等水兵として、イギリス海軍が誇る新鋭フリゲート艦に転属されていた。今作ではフランス軍艦との壮絶な洋上の一騎打ちに始まり、国王使節の任を帯びた、はるか東洋の神秘・中国への航海と本国イギリスまでの帰還の道程を描く。行く先々でキッドらを待ち受ける、驚くべき冒険の山々。これほどスリルとエンターテイメントがぎっしり詰まった小説はそうはない。血沸き肉踊る躍動感と臨場感あふれる筆致。これは男なら誰しもが一度は憧れたことのある世界だ。海の男たちのカラッとした魅力、鍛え上げられた肉体、大いなる海を舞台に繰り広げられる、想像を絶する冒険の数々。彼らは常に命懸けだ。きらめく海の色彩や豊かな汐の香り、波を割って滑るアルテミス号の立てる様々な音などが眼前にありありと浮び、読者は彼らと一緒に大海原に乗り出しているかのような錯覚すら覚えることだろう。文句なしの素晴らしい小説。


おすすめ度★★★★★


「蛙男」 清水義範

著者: 清水 義範
タイトル: 蛙男
ある日実家が焼失し、過去のよすがを無くした滝井。そのころから彼には自分の姿が蛙に見え始めた。やがて変化は外見から内面にまで侵食し、滝井は得体のしれない不安に苛まれる日々を強いられる―。変態(メタモルフォーゼの意味で)を題材にした小説は、カフカという踏絵を否応なく突き付けられるものであり、それは難解な命題である。この小説は「蛙」を次第に他者として受けとめていくという点で新味はあるが、そんなことよりも、なんというか内容が薄い。哲学的なテーマにもなりうる題材なのにどこか煮え切らない。突き詰められていない。茫漠としている。それがこの作者の持味なのかもしれないが。清水義範という作家の持つペーストを薄く引き伸ばしただけの作品、という印象を得た。などと思いながら巻末の解説をめくると、この作者、200冊を超える著作があるとのこと。なるほど、納得。多作家なら、さもありなん。駄作とまでは言わないが、たいしたことのない作品だ。多少のユーモアと最低限のクオリティ-は保っているので、おすすめ度は★★

「罪深き誘惑のマンボ」 ジョー.R.ランズデール

著者: ジョー・R. ランズデール, Joe R. Lansdale, 鎌田 三平
タイトル: 罪深き誘惑のマンボ

「世界一頭の切れる黒人」レナードと「天下の助っ人」ハップの不良中年コンビが縦横無尽に暴れ回る、シリーズ第2作。
相変わらず小気味のいい会話が乱れ飛び、思わず唇の端が持ち上がる。下品でデタラメな男たちが今回主戦場に選んだのは、KKKじみた集団が半ば公然と活動するテキサスの小さな街グローブタウン。この街で姿を消したかつての恋人フロリダの消息を追うハップとレナードだったが、狂気の住人たちの強烈な歓待にさしもの二人もさんざんな目に会い、命からがら逃げ出す始末。しかしそのまま黙って毛布に頭を突っ込でいる二人ではない。満身創痍の体をひきずり、再び死地におもむくハップとレナード。果たして彼らは生きて帰ることができるのか?そしてフロリダの行方は?
レナードメインの前作とは対照的に、ハップを主軸として物語が展開していく今作だが、なんとも苦味のある小説に仕上がっている。
「たぶん、ものごとをだめにしちまうのはセックスなのさ」というハップの言葉が、銃声のような余韻を残す。命懸けで敗北に立ち向かう男たちの姿に憧れを抱かせる小説。


おすすめ度★★★


「悪意」 東野圭吾

著者: 東野 圭吾
タイトル: 悪意

僕はいわゆる「推理モノ」があまり好きではない。そもそも「殺人」という発端自体が、あるトリックを成立させるために用立てられた「ご用事件」であり、つまり紙の上の人間とはいえ、人の生き死にを露骨に道具化したものだからだ。方法論に重きを置く「本格」などは言わずもがなだ。僕にとって幸運なことに、この小説はそんな「推理モノ」のありように一石を投じる作品だった。前半は犯人の用いたトリックを打ち破る話だが、隠された殺人の動機を探る後半こそが小説の主旨であり、なにより登場人物たちの手記だけで物語を展開させるという作品自体の仕組みが面白い。理系的とも言うべき構成に感心させられた。伏線も巧妙で過不足ない。だが、なにより凄味を感じたのは加賀刑事の最後の台詞、『ああ、そうだ。~申し上げました。』だ。この作家の人間観は深い。東野圭吾、ただものではない。


おすすめ度★★★★

「神の街の殺人」 トマス.H.クック

タイトル: 神の街の殺人

著者: トマス・H. クック, Thomas H. Cook, 村松 潔

やるせない余韻を残す物語の達人、クックの初期作品。希有なる宗教都市ソルトレークに忍び寄る、殺人鬼の影。やがて巻き起こる一連の事件は、神に祝福されたる地を揺るがす、恐ろしい陰謀へと変貌していく…。
告白します。こういうの大好きです(笑)。不気味な迫力でせまる狂信者に対峙するは、殺伐とした過去を背負ったタフな男。ともに孤独を抱きながら一方は冷酷なる殺戮に手を染め、一方は己を見失いかけながらも事実と事実をつなぐ一本の糸を探り出す。これはノワールとしても読める小説だ。クック一流の、「時を印象的に操る手法」の萌芽もうかがえる作品だが、今作では生硬で癖のある人物たちを使いきった腕力にこそ注目したい。ただ、主人公の友人であるエプスタインをはじめとして、その興味深い個性を描ききれなかった者たちも多く、画竜点睛を欠くの感もある。意味深な結末は〇。ノワール好きなら一読に値する作品。読んでいて「神は銃弾」を思い出した。両書とも、揺るぎないはずの社会通念から外れた思考様式を有する者たちが、胃がゆっくりと持ち上がるような剣呑な気配を読み手に突き付けている。


おすすめ度★★★

.「凶気の桜」 ヒキタクニオ

著者: ヒキタ クニオ
タイトル: 凶気の桜

カスである。ことに前半のカスっぷりは筆舌に尽くしがたい。人物造形やストーリー展開は言うまでもなく、語彙やレトリックのレベルも惨嘆たるもので、少なくとも文筆を生業とする者のそれとはほど遠い。言い切ってしまえば、世に氾濫するウェブ小説並みのヘボさだ。自らの設定に酔う作者のニヤケ面が、目の前に浮かぶようだ。この作者は本書でいったい何がしたかったのか、と思わず喰って掛かりたくなる。『「時計じかけのオレンジ」の冷笑も凍りつく、ヒップなバイオレンス小説』などとコピーを打った人間の良心にすら疑問を抱いてしまうくらいだ。まず、作者の人間性の一部を希釈しているはずの特定のキャラクター群に、ことごとく魂が遍在しない。とってつけたような人物だらけで、ありきたりもはなはだしい。唐突に始まる過去のエピソードなど、自己満足の域を出ない話の連続にも嘆息を禁じえなかった。まったく人間が書けていない、痛い小説。作者よ、ファッションのつもりで小説を書いているのなら、即刻やめたほうがいい。


おすすめ度★

「魔の系譜」 谷川健一

民俗学の好著。これも本来、書評など当てはまらないジャンル。本書でおもに述べられているのは、日本人のメンタリティには非業の死を遂げた敗者の「怨み」を畏れる心理があるという点。そこから転じて、「現世に畏れと災厄をもたらす対象」を祭神に祭り上げ、後世にわたってとりなし続ける姿勢を明らかにした。その他、隠れキリシタンに関する稿や、古墳保護策に関する考察もあり。門外漢ながらただひとつだけ批判じみたことを言うならば、呪いの原理に関しては、夢枕獏「陰陽師」内での晴明と博雅の会話文のほうが、フィクションを介するぶん一層理解しやすいと思う。これは批判というよりは補足かな?


おすすめ度★★

「勇気凛凛ルリの色 満天の星」 浅田次郎

著者: 浅田 次郎
タイトル: 勇気凛凛ルリの色 満天の星

こちらは第四巻。当エッセイシリーズの連載は、これにてとりあえずの打ち止めとなっている。相変わらず、無類のおもしろさである。しかし諸君、これをただのエッセイだと侮るべからず。文中いくたびも、作者みずから「本シリーズを作家・浅田次郎の代表作のひとつと考えており、ゆめゆめおろそかには執筆してはおらぬ」といった風の言葉を残しているからだ。僕はこの宣言を全面的に支持している。それは評価の星数にも反映する。

おすすめ度★★★★←こちらもほぼ、「満天の星」

「勇気凛凛ルリの色 福音について」 浅田次郎

著者: 浅田 次郎
タイトル: 勇気凛凛ルリの色―福音について

もはや説明はいるまいが、一応書いておく。浅田次郎の連作エッセイのうちの一冊である。第三刊とだけ言っていれば、いささかは親切かもしれない。ここ数日、かつてないペースで浅田作品を読んでいるせいか、心なし、どの媒体においても用いる文体が浅田調になっている。このうえさらに、主催する書評サイトに寄稿するために上下二冊の「壬生義士伝」を、それもおそらくは三、四日のうちに読むことになるだろうから、来月の声を聞くころにはきっと浅田次郎本人になってしまっているに違いない。冗談でもそう思えるくらい、すっかり没入した。もっとも本物とは比べるべくもない浅学非才の徒なれば、熱狂が通過するなり、たちまち本来の無能を思い出して頭を抱えることになるのは火を見るより明らかである。なので、今のうちに手元の辞書に新たな解釈を付け足しておく。「浅学非才」→浅田次郎の書に学ぶ、才能の無い者のこと。合掌。


オススメ度★★★★

「勇気凛凛ルリの色 四十肩と恋愛」 浅田次郎

著者: 浅田 次郎
タイトル: 勇気凛凛ルリの色 四十肩と恋愛

歌舞伎や浄瑠璃のお題目みたいに長いタイトルだが、足掛け四年にわたり週刊誌に連載されたエッセイを各四冊に切り取った単行本の、第二巻である。浅田次郎という人はおもしろく、情けなく、弱く、強く、女々しく、男らしく、ケチで、豪気で、かっこよくて、かっこわるい。浅田ファンならずとも、読んで甲斐ありの本である。腹をかかえて笑い転げたり、しんみりと胸にしみたり、怒りに身を震わせたりと、その豊かな言語空間にひたってみて下さい。


おすすめ度★★★★