辻斬り書評  -39ページ目

「郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす」 ジェイムズ・M・ケイン

著者: ジェイムズ M.ケイン, 小鷹 信光
タイトル: 郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす

野良犬の愛。情熱のうねりに乗った男女が、その頂点から転がり落ちる。ただそれだけの物語だ。
はっきり言ってクソ小説。こんなものがハードボイルドの名作とは片腹痛い。チャンドラーが唾棄したのも理解できる。70年前に書かれた本ということを割り引いたとしてもだ。試みは悪くない。結末もそう悪くない。だが残念なことに、殺人や裏切りを経て屈折していく主役ふたりの心情を描く筆力に欠ける。サスペンス性にも乏しいと言わざるをえない。刺激過多の現代の目から見るからだろうか?すべてが物足りない。蛇足になるが、作者が本書とは別の機会にものしたと思われる、自作を擁護するようなエッセイが巻末に付記されているが、まるで恥の上塗りのようで、出版の企画としては最悪の部類。


おすすめ度★

「見知らぬ妻へ」 浅田次郎

著者: 浅田 次郎
タイトル: 見知らぬ妻へ

珠玉の短篇集、と言いたいところだが、長編とは違って特に仕掛けもなければ浅田氏一流のユーモアもなく、彼の語り部としての能力の高さを評価している者としては、若干の物足りなさを覚えてしまった。しかしまあ、よくもこれだけ多種多様の話を書けるものだ。ことに表題作の「見知らぬ妻へ」は、凡庸なストーリーながらも、短篇で書くにふさわしい内容に思えた。ちょっといい話を読みたい向きにはおすすめの本。


★★

「犯人にされたくない」 パーネル・ホール

著者: パーネル ホール, Parnell Hall , 田中 一江
タイトル: 犯人にされたくない

前作「探偵になりたい」に続く、シリーズ第二弾。今回も軽い、軽い。これが臆病で愚痴り屋の主人公でなく、またその小心さに共感できなかったとしたら、おそらく本を引き裂いてしまったであろうと確信するほど、とんとん拍子に話が進む。またしても私立探偵ヘイスティングズが殺人事件に首を突っ込むわけだが、前作に比べ本作では『巻き込まれ』度合いが低い。一方で、ヘイスティングズ流即興の冴えには磨きがかかり、主人公の弁に反して、まともな探偵としての手腕を見せ始める。これにより、素人探偵ものとしては、ある意味では当確ラインぎりぎりの作品になってしまったと言える。作者がこのあたりの機微に自ら気付かず、次回作以降も同様の路線で手懸けるならば、当シリーズの先は暗い。これまでと違った新しい舞台環境と、主人公の成長度合いをしっかり織り込んだ続編を期待。本書の出来は前作を越えていると評価しておく。


おすすめ度★★★

「ヤスケンの海」 村松友視

著者: 村松 友視
タイトル: ヤスケンの海

この男の生きざまを見よ!「余命一ヵ月宣言」の末、去年の一月に肺ガンで亡くなった豪腕編集者にして無類の毒舌評論家、重度のワーカホリックにして自称スーパー・エディター、ヤスケンこと安原顕氏の後半生を、盟友村松氏が描く。なかでもそのものズバリの最終章「余命一か月」では、死せるヤスケンの生命力が行間からあふれだしており、圧巻。ヤスケンという強烈な個性が育まれた背景や、その彼がいかにしてこの世を泳ぎきったかを、愛情と哀惜のこもった筆致で書き上げた。本を愛する人種は、ぜひヤスケンの魂に触れてみてほしい。自伝「ふざけんな、人生」と合わせて読めば、きっとあなたの胸にもヤスケンが棲まうことだろう。彼は紙面の中で生き続ける。ついには登場人物として。


おすすめ度★★★★

「寝ながら学べる構造主義」 内田樹

著者: 内田 樹
タイトル: 寝ながら学べる構造主義

平易な言葉を用いて構造主義のいろはを解説した良著。とかく哲学書のたぐいは、閉じられた言語空間内での知的ゲームに終始する感があるが、本書ではその愚を避け、まさに入門書としての体裁を整えていると言っていい。現代思想に興味のある方にはおすすめできる本だ。いまさら構造主義?と思う向きもあるだろうが、個人的には『人格や倫理感をはじめとする人間性は、時代や文化、所属する集団の社会的背景などの外的要因により、後天的に鋳造される』という自分なりの認識をもっともよく担保してくれる思想体系だと感じた。少なくとも、人間主義という独尊に向かいかねない「現象学」よりは、実感として肌に合う気がする。ま、哲学に正解などないのだが。


おすすめ度★★★

「溺れる魚」 戸梶圭太

著者: 戸梶 圭太
タイトル: 溺れる魚

『溺れる魚』は果たしてタイトルとしてふさわしいのか。本書の内容を象徴しきれていないように思えるのだが。評価はまずまずといったところか。はっきりとした主役の不在と、個性的なネーミングにより辛うじて混乱を避けられているものの多すぎる登場人物たちのおかげで、いまひとつ視点の定まらない作品となった。特に終盤のめまぐるしさは、一歩間違えるとご都合主義に針がふれかねない危うい均衡のうえに成り立っている。あの辺りにはもう少し枚数を費やしてもよかったのではないか。とはいえ、まずまず読ませる小説だった。もう少し踏み込んで、悪漢たちの哲学ないしは意地を示すことができていたら、尚よかったと思う。


おすすめ度★★★

「北朝鮮不良日記」 白栄吉

著者: 白 栄吉, 李 英和
タイトル: 北朝鮮不良日記

本書は小説ではなく、亡命北朝鮮人の実体験を、接見した訳者が物語風に書き下ろしすという手法を用いてまとめられた作品。我々の知るそれとはまた違う北の実態を描いている。著者となっている白栄吉氏はいわゆる突破者で、彼や裏社会の人間たちが体当たりで北朝鮮の社会を生き抜く様を活写した、任侠一代ものとしても読むことができる。いわゆる北朝鮮の地獄絵図を紹介したものとは一線を画す、独特の本だ。悲壮感漂うそれら北朝鮮本では必ずしもとらえきれない、人々の躍動を伝えようとした訳者、李英和氏の想いも汲み取りたいところだ。こういう本はもっと紹介されてもいいはずだ。

おすすめ度★★

「黄金を抱いて翔べ」 高村薫

著者: 高村 薫
タイトル: 黄金を抱いて翔べ

都会の地下に眠る金塊を奪取せよ!
元左翼の闘士にエリートサラリーマン、追われるスパイに直情青年、いわくありげな老人などが徒党を組み、空前の強盗計画を実行する。入り乱れる思惑にそれぞれの背負う暗い過去。はたして計画は成功するのか?
…と持ち上げてはみたものの、正直なところ「ウ~ン」。登場人物たちの魅力のないことときたら!あまり意味のない殺人や、いまひとつ迫力に欠ける過去の謎、仲間うちでめばえる独特の感情など、「これって必要なシーンなの?」と首をかしげることしきり。定評のディティールの細かさには疑いをいれないが、どうもしっくりこないままに読了した。それぞれが金庫破りを決意するのっぴきならない理由も別段見当たらないし。主人公の感傷にも共感できず、とにかくまどろっこしくて満腹感にはほど遠い小説だった。そもそも登場人物たちの年齢が、そのパーソナリティに対して若すぎるのではないか。


おすすめ度★★

「斧」 ドナルド.E.ウェストレイク

著者: ドナルド・E. ウェストレイク, Donald E. Westlake, 木村 二郎
タイトル: 斧

あなたが人を殺す理由はなんですか?長きにわたる失業期間を経て、望みの職種への再就職には同じような求職者のライバルたちを殺すしかないと思い至った、一家の大黒柱バーグ・デヴォアは、次々と彼らを叩き殺していく。愛する家族の生活を守るため父親は物陰にひそみ、憐憫をこめて、殺されなければならない人々の上に粛々と死を与える。きわめてデジタル的に殺されていく邪魔者たちと、徐々に歪んでいくバーグの倫理――。無数のライバルの中から真に排除すべきターゲットをピックアップするためのアイデアや、主人公の家族にふりかかる諸問題などの過不足ない演出が物語の進行をうまく支えており、バーグの人間性を浮かび上がらせることにも成功している。ただひとつ残念なのはラストの展開で(以下ネタバレ)、バーグも同様の理由で誰か別の人間に殺されるか、ついには道を踏み外して血に酔った殺人鬼になってしまい、無差別にすべてを叩き殺して終わりにしてほしかった。


おすすめ度★★★★

「鉄道員」 浅田次郎

著者: 浅田 次郎
タイトル: 鉄道員(ぽっぽや)

あまりに有名な表題作を含む短篇集。しかし同収録作の「ラブレター」は、別の短篇集に収められている「見知らぬ妻へ」と話が似通っている。ともに別れの台詞での名前の連呼が胸に迫るが、貪欲なファンとしては少々食傷気味か。とはいえ、そのあたりがまた、たまらないのだが。余韻あと引く男女の慕情は氏の得意分野に違いないが、もうひとつの魅力である、野放図な登場人物たちの織り成すスケールの大きい活劇を産み出す手腕にも期待してしまうところだ。


おすすめ度★★★