「新艦長、孤独の海路」ジュリアン・ストックウィン / 縦横無尽の快作! | 辻斬り書評 

「新艦長、孤独の海路」ジュリアン・ストックウィン / 縦横無尽の快作!

夜っぴいて読み耽ったあと未だ興奮冷めやらぬまま、半ば呆然とした状態でこれを書いている。

これほど魅了される物語は、僕にとってやはりトマス・キッド・シリーズをおいて他には考えられないことだけははっきりしている。

それ以外なにも考えたくないくらいの満足感に包まれているのだ……。


前作の刊行から13ヶ月、待ちに待った最新作は、予想をはるかに超えるおもしろさでもって僕に報いてくれたのだった。改めて思う。このシリーズとともに歩んできてよかったと。

これほど胸を沸き立たせ、物語の持つ力を感得させてくれる冒険小説は2つとあるまい。

偶然初刊を手にとってからおよそ7年、あのときの運命の引き合わせを幸せに思うとともに、なんとか続行を決定してくれた早川書房に深甚なる感謝を捧げたい。



たとえばだ。

知らない町に移り住んでしばらくは町の区画ひとつひとつがとても大きく映り、町並みや風景はおろか、雑踏までもが活き活きと光り輝き、息づいているかのように感じられる、魔法じみた期間がある。

町と人とのハネムーン期間とも言うべきその時間は決して長くは続かないのだけれど、その濃密な時の流れのなかで、町のささいな動きや見知らぬ事物との遭遇から人はとても素敵ななにかを発見し、汲み上げたような錯覚を覚える。

それは彼にとってまぎれもなく美しい瞬間の集積であると同時に、はかなく消え去る香気でもある。

時をおかずして町は輝きを失って次第に小さくなっていき、あとには見慣れた光景と淡い喪失感だけが残され、彼は手の中からこぼれ落ちていったなにかを拾い直す暇もないまま、いつもの生活へと回収されていく。

世界はもれなく、日常への回帰をうながすのだ。残酷なまでに。


この名状し難い感覚を、たかだか数百枚ほどの紙の束にすぎない一冊の本が十全に与えてくれるとしたら。

出会うたびに真新しい感慨をもたらしてくれる、まさに現在進行形のシリーズが目の前に積まれていたとしたら。

いったい、それを手に取らない法があるだろうか?


本シリーズが数多ある海洋冒険小説のうちでも白眉である一等の理由は、たんに勇壮な冒険小説にとどまず、縦横無尽に物語世界が伸縮する点にある。

もう少し言を尽くして説明すると、一筋縄ではいかない海軍生活のなかでたくましく成長していく主人公たちと彼らの領分に属する航海と戦闘だけに終始しないスケールで、小説が展開していくことだ。


例を挙げるならば、シリーズ初期に描かれた、ナポレオンの蹂躙を受けて小さくも輝かしい独立を失う前夜のヴェネチアの、蠱惑的な祝祭の有様は主人公たち以上に僕を虜にしたし、前巻で記された若さと希望にあふれた建国直後のアメリカ合衆国の姿は、鮮烈な印象を与えてくれた。

これらのいずれも、ストーリーの本筋とは必ずしも直結されてはいない描写だが、それゆえに物語世界に厚みと地平線を加えてくれるものだ。

著者ストックウィンはこういったシーンを各巻に盛り込むことで、小説に付きまとう恣意性の臭気を振り払い、登場人物の目を通じて読者が直面する出来事に深みと味わいを付け足してくれる。読者はただただ驚嘆し、存分に楽しめばいい。

本作においても、前半の舞台たるマルタ島海域の歴史的経緯とストーリーとの連係はもとより、終盤で描かれる入植間もないオーストラリアの、まさに開拓史をひもといたかのような一連の描写は、およそ海洋冒険小説の枠を「逸脱」しているといっていい。

このあたり、オーストラリアで青春をすごした著者の面目躍如であろう。


また本筋に則していえば、ついに一介の水兵から一艦を預かる艦長にまで立身を遂げた我らがトマス・キッドの栄光の船出のいきさつなどは、既存の同類作品とは明確に一線を画す出来に仕上がっているし、その後、海洋冒険小説ファンにはお馴染みの、いわゆる「雇い止め」の境遇に陥ったキッドが選んだコースも飛びぬけてユニークなものとなっていて、読み応えじゅうぶんだ。

忘れてはいけないのが、キッドの親友にして憂愁の貴公子ニコラス・レンジの魂の流浪で、こちらもいよいよ佳境の様相を呈してくる。

彼らの運命が再び交わるとき、キッド・シリーズは新たな冒険と成長の種を胚胎するのである。


当初から想定されている全12巻構成のうち、いよいよ本巻で折り返し地点を過ぎた。あとがきで著者も述べているように、キッドとレンジの人生にとっても分水嶺となった感のある最新刊、さあ震えて読め!



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