「金春屋ゴメス」西條奈加 / インスタント時代劇装置
日本ファンタジーノベル大賞受賞作。
この賞はコンスタントに佳作を輩出しているよね。いまやエンタメ部門では最も信頼できるレーベルでしょう。
さて。
現代人の視点や感覚を時代小説に持ち込みつつ違和感なく成立させることは実は非常にテクニカルな問題なのだが、本書はあたかもイタリアにおけるバチカンのごとく、現代日本の腹中に「江戸」なる独立国家を懐胎させるというアクロバット技を用いて、なんなくそこを素通りしてしまった。
ここまで正々堂々と信号無視されてしまうと、かえって清々しいというものである。
もう少し詳しく説明すると、関東地方のどこかに江戸時代をそっくり再現した社会が半ば鎖国状態で存在しており、日本との間でささやかながら物的・人的交流が保たれている、というのが物語の前提となっている。
その「江戸」国家も建国からすでに数十年を経て、安定的な自給自足圏として独自の文化を保持し続けている。
そう、そこは時代劇さながらの世界なのである。
アナクロ至上主義の「江戸」には当然ながら電化製品やその他の文明の利器は存在しないし、医療だって近代化する以前のレベル。
かつての江戸に存在しなかった技術は排除され、隣国日本と交渉を持ったことのない住人も少なくない。
そんな半異国に日本の一青年が移民することになり……というのがストーリーの流れなのだが、なにしろ「江戸」は上記のような有様なのでカルチャーショックありジレンマありで、本筋以外の部分でも楽しめたりもする。
というか、小説の本筋自体はそれほど凝ったものではなく、突飛な設定という素材を過不足なくきちんと生かしたものになっている。
……というだけでは不親切なので、作中のわりと初めから明らかにされている事柄をちょっとだけバラしてしまおう。
「江戸」と日本をまたぐ主人公の幼少期の秘密が物語のキーだ。
彼の失われた記憶をたぐる過程で、「江戸」を揺るがす大事件の背後にある謎が明らかになるのかどうか、というところ。
あとは読んでのお楽しみ。
「江戸」の限定的な領域でどうやって高自給率を維持しているんだとか、国境管理は具体的にどうしているんだとか、持続的な貨幣供給は可能なのかとか、意地の悪いツッコミはいくらでも入れられてしまうのが僅かに難点ではあるものの、そんなことは気にさせないだけの筆運びではある。
時代小説は読みつけないので、となんとなく避けているような人には格好の作品かもしれない。
個人的には「物語世界の重心点たるべき、荒ぶるゴメスが全然描き足りていないじゃないか」と注文をつけておこうか。
オススメ度★★★
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