「宋姉妹 中国を支配した華麗なる一族」伊藤 純・伊藤 真 / 中国現代史における女三国志  | 辻斬り書評 

「宋姉妹 中国を支配した華麗なる一族」伊藤 純・伊藤 真 / 中国現代史における女三国志 

「昔、中国に3人の姉妹がいた。ひとりは金を愛し、ひとりは権力を愛し、ひとりは中国を愛した……」


二十世紀が始まろうとしていた中国で三人の姉妹が産声を上げた。財閥の娘として生まれた彼女たちは、アメリカで豊かな青春時代を過ごす。そして帰国した三人は、それぞれの伴侶を求めた。長女靄齢は財閥・孔祥煕へ、次女慶齢は革命家・孫文へ、三女美齢は政治家・蒋介石へ嫁いだ―。これはまた、彼女たちの人生の大きな岐路であった。様々な思惑が錯綜する、革命という時代のうねりの中で、それぞれに愛憎と確執を抱きながら生きた三姉妹。ときにしたたかに、ときに純粋に、己の信じる道を生きた三人の運命を描きつつ、激動の中国史を活写した、出色の歴史ノンフィクション。(背表紙解説より)




歴史転回の源を特定の個人に求める観法はおよそ客観的ではないが、一時代を物語的に理解するぶんにはこれほどおもしろいことはない。

しかもそれが20世紀という時代の一集約地域となった中国を舞台に、血を分けた実の姉妹のあいだで繰り広げられた愛憎劇だったとすれば、古今を通じてこれほど劇的な演題もそう多くはないはずだ。


列強の侵食を食い止めるべく清朝を打倒するも、自らが新しい王朝の祖となる野望を燃えあがらせた袁世凱の離反、さらには新興国家日本の台頭に悩まされるなど、なお恐るべき国難の渦中にあった中国。

財閥の娘として生を受けた宋家の3姉妹、靄齢・慶齢・美齢は、アメリカ留学から帰国するや若き精神をそのままにそれぞれ孔子の裔、革命の父、国の指導者に次々と嫁し、その教養と権勢から、政治性を帯びた半ば公人として激動の歴史に大きく関与することとなった。

国民政府の財務を担う夫を持つ靄齢は莫大な財を成し、国父孫文のカリスマを受け継いだ慶齢は党の重要人物と目されるようになり、末妹の美齢に至ってはついには最高権力者の夫とともにカイロ会談 に出席するまでになる。

と同時に血で繋がれた強固な絆を武器にして、宋家の子弟たちもまた政権で重要な地位を得ることとなったのである。


このように、国民政府のもと一枚岩のごとく結束し「宋王朝」と揶揄されるほどに栄耀栄華を誇った一族にも、やがて崩壊の影が忍び寄る。対日合作の一時期を挟みつつも、国を二分して争われた国共内戦がその原因だった。

同胞同士が殺しあうさなか、理想と現実との二極に引き裂かれた姉妹は次第に対立の色を濃くしていく。

わけても孫文夫人からのちには共産党国家名誉主席となった次女・慶齢と、蒋介石の没後、台湾中華民国の総統就任さえ囁かれた三女・美齢の相克は劇的だ。

孫文の理想から遠ざかる一方の国民党を轟然と非難し、ついには革命の正統性を共産党に与えて一族と袂を分かった慶齢と、対日戦争中はクリスチャンのファーストレディとして欧米の支持を集める役割を果たし、内戦に敗れて台湾に追い落とされてからは大陸反攻を唱え続け、朝鮮戦争勃発の機をとらえて渡米し一大センセーションを巻き起こした美齢の人生は、互いに相容れぬ国家の象徴となったふたりなればこそ、海峡を隔てて二度と再び交わることはなかったのである。



宋姉妹の残した事跡はたとえそれが教科書に載るような性質のものではなかったかもしれないにせよ、彼女らの生きた軌跡を追うことによって現代中国史の沿革をなぞることはじゅうぶんに可能だ。

なかんずく慶齢のそれは、将来の中国共産党研究の分野でも特別の地位をしめることになるはずだ。

孫文や蒋介石の名は知っていても、革命と戦争のはざまに大きく浮かび上がり、陰に陽に影響力を持った宋姉妹を知らない者は少なくないだろう。

僕も本書で初めて知り、いかに自分が現代中国について無知であるかを痛感した。

美齢は21世紀まで生き残った。アメリカでひっそりと晩年を送った彼女の死が報じられたのは、ほんの数年前のことである。


無自覚な人間のすぐ隣でさえ、ありありと歴史は息づいている。

蒙昧はときに罪だ。


伊藤 純, 伊藤 真
宋姉妹―中国を支配した華麗なる一族


オススメ度★★★★