辻斬り書評 


各書評は、サイドバーの「ブログテーマ一覧」にてジャンルごとに分類されています。

その他の記事検索として、2006年2月までにオンライン書店bk1 に投稿し掲載された書評を以下にまとめてみました。


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「妖奇切断譜」貫井徳朗 / ほどほど、ほどほど。

と、いうわけで 第2弾である。

もう少し付き合ってみようと思わせたのは、著者の安定した筆力のおかげ。

ヘタな小説をとつおいつ消化するより、やっぱり読みやすさに流れてしまうモンなのです。

本読みの端くれとしては、楽ばかりしててはイカンのですけどねえ。


さて。

ご一新以降の世の流れに違和感を抱き、いくばくかの反感をこめて遊び人を続ける青年公家がワトソン役を演じ、その友でどこか凄愴な色を帯びた元大名の子息が安楽椅子探偵の役回りを担うという、いささか貫井徳郎らしからぬ本シリーズだが、ずいぶんこなれてきたように思う。

というより、あまり無理をしていないという印象に近い。


明治という舞台設定が包摂するキャパのわりに歴史背景をあまり掘り下げなかった前作の轍を踏まず、いくらか目線を下げて庶民的あるいは通俗的なところからミステリ的な脚色を引き出してきたのが奏功したといえるだろう。

文化論じみた素材をやや生硬なまま使用してしまった前回に較べ、より自らの筆になじみやすい仕立てで臨んだ結果、物語の本筋がブレなかったというところか。

舞台性のシバリがごくごく普通の時代小説程度までに後退し、かつ無用な薀蓄がさっぱりと消えうせていたので、さらに読みやすさは向上した。

僕のような中途半端にうるさ型の読み手にとって、これは好材料である。


あとがきにて漫画家の喜国雅彦が暑苦しいまでに本書の猟奇性を称揚しているとおり、たしかに血なまぐさい描写は前作を凌いであまりある。

なにしろ、今回は連続バラバラ殺人事件なのだ。さらにはバラバラ死体を持ち去ってあれやこれや淫してしまう変質者も登場するとあっては、その気のある(?)喜国雅彦が狂喜乱舞するのも、またむべなるかな。

世に知られた絶世の美女たちが次々と無惨な屍と化していくさまに耽美したい方はほどほどの期待感を持って、そうでない方もほどほどのミステリ的充足を期待して、本書を手にとってみてはいかがだろうか。


最後の最後でおそろしい期待はずれが待ち構えているが、それはそれとして読み通せる作品ではある。


オススメ度★★★



妖奇切断譜 (講談社文庫)/貫井 徳郎
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「鬼流殺生祭」貫井徳郎 / 遊び心の頓挫?

貫井徳郎には、東野圭吾や宮部みゆき、真保裕一などに次いで、質の高いミステリを書く現代作家という印象がある。

その貫井が、明治を舞台にしたものを書いているという。

もっぱらエンタメ領域を主戦場にしているとはいえ、一定のレベルに達している作家が近代日本の手相をどう読み、どう再構築するのかにいくらかの興味を覚え、本書を読むことにした。


というのは後付けで、たまたま家族の本棚にあったからである(笑)。

以前に読んだ小説がまずまずだったので、今回もそれなりの期待感はあった。

あった。

うん。


さすがに読みやすさは折り紙つき。引っかかりなくスラスラ読める。

伝奇的な要素も、ほどほどの出来。

でも、それだけ。


たしかに文化の変遷期という舞台設定が必要となるネタではあるものの、歴史風景を生かしきれなかった感が残る。

なにより、腕の確かな作家であるからこそ鼻に付いてしまう蛇足がいくつか見受けられ、結果的に中途半端な読み味になってしまった。

これでは、単にライトな京極夏彦 にすぎない。


新作を待ちきれない京極ファンがほんの手遊びに読むぶんには、まあお誂え向きかもしれない。

作者は、どうせならもっと思い切って暴れたほうがよかったのではないか?

品行方正なイメージをかなぐり捨てて。


オススメ度★★★


鬼流殺生祭 (講談社文庫)/貫井 徳郎
¥730
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「三国志6・7」北方謙三 / ようやく。

袁紹だの孫策だの、これまで多角的な視点を提供してきた主要人物が順々に表舞台を去っていき、以降物語は周瑜を一方の軸に置き、かの「赤壁の戦い」へと収斂していく。

分散から集中へ、視点が絞られたおかげで小説の密度もグッと高まり、ようやく楽しめるレベルに到達した。

我ながら、ずいぶんと耐えたものだ。


また、こちらも有名なエピソードである「三顧の礼」が描かれ、いよいよ劉備陣営に諸葛亮孔明が合流する。

ナイーブに描かれる孔明の浮世離れした姿と屈折は、なかなかに妙味があってよい。

特に逡巡を振り捨て、俗世に身を投じることを決意するくだりなどはよくできている。

孔明のような人物を書くのは難しいところがあるのだが、今後、作者が彼をどう料理していくのかに注目していきたい。

個人的には泥臭い孔明像を見てみたいのだが……。



三国志 (6の巻) (ハルキ文庫―時代小説文庫)/北方 謙三
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三国志〈7の巻〉諸王の星 (ハルキ文庫―時代小説文庫)/北方 謙三
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オススメ度★★★







これは燃える……!

待望の勝利なので、たまにはこういうのも。


チャンスわっしょい (PC限定、音楽が流れます)

「三国志2・3・4・5」北方謙三 / スルスル読んでしまおう

あいかわらず 、つまらない。

結局、北方謙三には群像劇が向いていないということなんだろう。


なんといっても、著者が神の視座に立ちすぎていて戦国の脈動が感じられないのが致命的。

劉備陣営の行動なんて、巨視的すぎてほとんど予言者のレベルだしねえ。

対照的に、機能集団たる曹操陣営が非効率的な他陣営を見下しつつ撃破していく流れが浮かび上がってくるのは、おそらく著者自らへのブラックユーモアなんでしょう(笑)。


ただ、五斗米道の張衛のくだりだけは、読ませるものがある。

特に第5巻で黒山の張燕と夜話を交わすシーンがあるが、あそこは秀逸の出来。

自身の野望におののきつつも模索を続ける若きリーダーの気負いと、野望に翻弄され疲れ果てた老人の諦念との対比が、対峙する両者に差し挟まれた焚き火の比喩によって、見事に描き出されている。

国語の教科書に載っていても不思議ではないくらいの完成度。


で、最初の結論に戻るのだが、北方謙三はひとりの男の主観を軸にして筆を進めたほうが、よほど生きる作家であろう、ということで。


以上。


オススメ度★★



文庫版 三国志完結セット 全13巻+読本/北方 謙三
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「姑獲鳥の夏」京極夏彦 / これ、ミステリ的にはどうなのよ?

基本的に売れてるものは売れてるときに読まない質なので、今頃になって読んでみました。

もはや読者も一巡しているはずなので、既読者を念頭に置いていきたいと思います。



さて。


本書のように一見SFの顔をしていない小説にロゴス論や量子力学を盛り込もうとすると、どうしてもケレンに流れるのか、あるいはこの作家の特質として衒学的な筆致になるのか、ちょっと判断がつきにくいところがある。

ずいぶん前に読んだ「嗤う伊右衛門」の印象を反芻するかぎりではおそらくは後者なのだろうが、いささか読みにくい代物になっているのは否めないところだ。

昭和中期のレトロな装飾がその難を中和しえているかどうかだが、この点、「ロゴス論=呪」の観点から例をとると、夢枕獏の「陰陽師」を経てきた読者などには本書はやや無粋に感じられることもあるだろうし、生粋のSF者の視座に立つと湿り気がありすぎてスマートではない、ということにもなろう。

はたまた、いままでそのようなガジェットに接したことのない読者ならば、もしかしたら相当のショックにおそわれるのかもしれない。

その場合、踵を返して立ち去るかゾッコン入れ込んでしまうかのどちらかに大きく振れることになるだろう。


このような情報の非対称性が物語の動力源になってる作品では、構造上避けえない点として、名探偵ホームズにおけるワトソンのような「善意のおとぼけキャラ」が要求される。

なぜなら、情報力の格差が物語に起伏を与えるからだ。

本書のように、明白に観念論を核にすえた筆法を採るなら尚更その傾向を強めなくてはバランスがとれないし、当たりのやわらかい狂言回しの存在なくしては京極堂や榎木津のような癖の強いキャラクターを動かすのはほとんど不可能だ。

本作では主役格のひとりである関口がこの任を勤めているのだが、その彼がワトソンの機能を果たすと同時に物語の表裏を媒介する蝶番となっている点で、特徴的であるといえよう。

個人的には、なお関口の人物造形に靄がかかっていたのではとの思いが残るのだが、このあたりは単に好みの問題にすぎないのかもしれない。

既述したように、関口のキャラクター設定が物語全体の支点である以上、あまり削り込んでしまうと小説の成立すら怪しくなってくるからだ。

華のある京極堂や榎木津に目が向きがちだが、関口の描き方に著者の心血がより注がれたと見るのが妥当であり、一見して派手なガジェットよりも注視に値するのではないか。



以上が総論的な評になるのだが、僕にはひとつ引っかかっている点がある。

「新本格」を毛嫌いする人間がこう言うのも口はばったいが、推理小説の態をとっておきながら終盤の謎解きに至るまでにすべての判断材料を明示しないという了見は、いったいどうなのだろうか。

本書は新本格ミステリではないから、といわれればそれまでだが、後だしジャンケンのようにして強引に畳みかけられてしまうと、やはり読後がすっきりとしない。京極堂の得々とした解説が、釈然としない独演に感ぜられてしまう。

このあたり、ほかの読者がどう受け取ったのかに興味がある。


本書とうまく波長が合って一気読みできた読者は幸いである。残念ながらそうでない読者にとっては、まだるっこしくてとっつきにくい小説に映ったことだろう。

本質的に、読者を選ぶ小説なり作家であるのはまず間違いない。

次回作を手に取るかどうかは未定である。


オススメ度★★★


文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)/京極 夏彦
¥840
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「新艦長、孤独の海路」ジュリアン・ストックウィン / 縦横無尽の快作!

夜っぴいて読み耽ったあと未だ興奮冷めやらぬまま、半ば呆然とした状態でこれを書いている。

これほど魅了される物語は、僕にとってやはりトマス・キッド・シリーズをおいて他には考えられないことだけははっきりしている。

それ以外なにも考えたくないくらいの満足感に包まれているのだ……。


前作の刊行から13ヶ月、待ちに待った最新作は、予想をはるかに超えるおもしろさでもって僕に報いてくれたのだった。改めて思う。このシリーズとともに歩んできてよかったと。

これほど胸を沸き立たせ、物語の持つ力を感得させてくれる冒険小説は2つとあるまい。

偶然初刊を手にとってからおよそ7年、あのときの運命の引き合わせを幸せに思うとともに、なんとか続行を決定してくれた早川書房に深甚なる感謝を捧げたい。



たとえばだ。

知らない町に移り住んでしばらくは町の区画ひとつひとつがとても大きく映り、町並みや風景はおろか、雑踏までもが活き活きと光り輝き、息づいているかのように感じられる、魔法じみた期間がある。

町と人とのハネムーン期間とも言うべきその時間は決して長くは続かないのだけれど、その濃密な時の流れのなかで、町のささいな動きや見知らぬ事物との遭遇から人はとても素敵ななにかを発見し、汲み上げたような錯覚を覚える。

それは彼にとってまぎれもなく美しい瞬間の集積であると同時に、はかなく消え去る香気でもある。

時をおかずして町は輝きを失って次第に小さくなっていき、あとには見慣れた光景と淡い喪失感だけが残され、彼は手の中からこぼれ落ちていったなにかを拾い直す暇もないまま、いつもの生活へと回収されていく。

世界はもれなく、日常への回帰をうながすのだ。残酷なまでに。


この名状し難い感覚を、たかだか数百枚ほどの紙の束にすぎない一冊の本が十全に与えてくれるとしたら。

出会うたびに真新しい感慨をもたらしてくれる、まさに現在進行形のシリーズが目の前に積まれていたとしたら。

いったい、それを手に取らない法があるだろうか?


本シリーズが数多ある海洋冒険小説のうちでも白眉である一等の理由は、たんに勇壮な冒険小説にとどまず、縦横無尽に物語世界が伸縮する点にある。

もう少し言を尽くして説明すると、一筋縄ではいかない海軍生活のなかでたくましく成長していく主人公たちと彼らの領分に属する航海と戦闘だけに終始しないスケールで、小説が展開していくことだ。


例を挙げるならば、シリーズ初期に描かれた、ナポレオンの蹂躙を受けて小さくも輝かしい独立を失う前夜のヴェネチアの、蠱惑的な祝祭の有様は主人公たち以上に僕を虜にしたし、前巻で記された若さと希望にあふれた建国直後のアメリカ合衆国の姿は、鮮烈な印象を与えてくれた。

これらのいずれも、ストーリーの本筋とは必ずしも直結されてはいない描写だが、それゆえに物語世界に厚みと地平線を加えてくれるものだ。

著者ストックウィンはこういったシーンを各巻に盛り込むことで、小説に付きまとう恣意性の臭気を振り払い、登場人物の目を通じて読者が直面する出来事に深みと味わいを付け足してくれる。読者はただただ驚嘆し、存分に楽しめばいい。

本作においても、前半の舞台たるマルタ島海域の歴史的経緯とストーリーとの連係はもとより、終盤で描かれる入植間もないオーストラリアの、まさに開拓史をひもといたかのような一連の描写は、およそ海洋冒険小説の枠を「逸脱」しているといっていい。

このあたり、オーストラリアで青春をすごした著者の面目躍如であろう。


また本筋に則していえば、ついに一介の水兵から一艦を預かる艦長にまで立身を遂げた我らがトマス・キッドの栄光の船出のいきさつなどは、既存の同類作品とは明確に一線を画す出来に仕上がっているし、その後、海洋冒険小説ファンにはお馴染みの、いわゆる「雇い止め」の境遇に陥ったキッドが選んだコースも飛びぬけてユニークなものとなっていて、読み応えじゅうぶんだ。

忘れてはいけないのが、キッドの親友にして憂愁の貴公子ニコラス・レンジの魂の流浪で、こちらもいよいよ佳境の様相を呈してくる。

彼らの運命が再び交わるとき、キッド・シリーズは新たな冒険と成長の種を胚胎するのである。


当初から想定されている全12巻構成のうち、いよいよ本巻で折り返し地点を過ぎた。あとがきで著者も述べているように、キッドとレンジの人生にとっても分水嶺となった感のある最新刊、さあ震えて読め!



新艦長、孤高の海路 (海の覇者トマス・キッド〈7〉)(ハヤカワ文庫 NV ス 16-7) (ハヤカワ文庫NV)/ジュリアン・ストックウィン
¥1,029
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蒼海に舵をとれ―海の覇者トマス・キッド〈2〉 (ハヤカワ文庫NV)/ジュリアン ストックウィン
¥987
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「三国志1」北方謙三 / 画竜に点睛を満たせず

長らく借り放しで少しばつが悪いので、なんとなしに読破することにした。

北方謙三は借りてきたような外面描写だけで話を進める作家なので好きではないのだが、このシリーズはかなり版を重ねているらしい。

これだけつまらない内容でも読者が付いていく理由がわからなかったのだが、それだけ「三国志」自体の需要が大きいということなのだろう。

然様、歴史は汲めども尽きせぬ源泉なのだ。



三国志といえば最近ではマンガ「蒼天航路」が斬新な人物描写で人気を博したのが記憶に新しく、また古代中国の専門家である宮城谷昌光が実に骨がらみで描く三国志は抜群の面白さを見せており、こちらも連載の進捗具合が気にかかるところだ。

両作ともオリジナリティにあふれ、既存の三国志ものと一線を画すことに成功しているといえよう。


翻って北方三国志だが、これほど書かれ続けてきた題材を扱うにしてはスケール感やダイナミズムに欠け、人物描写もお粗末な代物、まさにインスタントヌードル程度の可もなく不可もない味わいに、いわば低速安定飛行している。

奇しくもその簡易さが需要にマッチしているのかもしれないのだが。


本巻に関して見るべきところは一点だけ、自らも半信半疑だった理想の主像に合致する人物―すなわち劉備―に出会った関羽が、今日にも主従の契りを交わそうかという段になってひどく慌ててしまい、一方的に結論を劉備に預けて立ち去ってしまう箇所だ。あそこだけが渋い光を放っている。

そのほかは特に考証に力を割く様子もなく、キラリと光る独自の解釈もなく、書き手が楽をできるように設計された都合のいい合成ピースをいくつか加えただけで、あとはきわめて平板な著述に終始していると言っていいだろう。

強いて挙げるなら適度なテンポだけは評価できるかもしれないが、これとて中身が空疎であればこそ可能であっただけで、いわば怪我の功名のようなものだ。

こちらとしてはあまり何も考えず読み口に沿ってスラスラと流していけばいい。


もともとが歴史小説を主としてはいない、というエクスキューズを受け入れるほどに懐の深い読者ではないため、また北方のように実績を積み完成された作家に対して鋳型の変更を期待することもないので、あまり多くを求めずに読み進めていこうと思っている。

さすがに筆致の波は安定しているので、よほどのことがないかぎり読了することはできるだろう。

機械的な読書というのも、脳休め(というほど酷使してはいないが 笑)や口直しという意味では有用なのかもしれない。



オススメ度★★



三国志 (1の巻) (ハルキ文庫―時代小説文庫)/北方 謙三
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三国志〈第1巻〉 (文春文庫)/宮城谷 昌光
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蒼天航路 (1) (講談社漫画文庫)/李 学仁
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「検校の首」向谷匡史 / お江戸のダークヒーロー

検校というと知らない人が多いかもしれないが、座頭というと途端にわかる人が増えるだろう。そう、映画「座頭市」の座頭だ。

座頭というのは江戸時代の盲人官位のひとつである。

え、と思うかもしれないけれど、座頭とは幕府に裏づけされた立派な位のひとつで、盲人の組合的組織である「当道座」における官位のこと。

といっても幕府から直接禄を得ていたわけではなく、彼らはもっぱら琵琶などの音曲や鍼灸をこととして生活を営んでいた。

幕府は当道座を庇護する立場にあり、その系譜は室町時代にまでさかのぼる。

座頭のうえには勾当(こうとう)、別当(べっとう)、検校(けんぎょう)があって、ピラミッド状の階層を形成していた。

当道座は入座者には訓練を施し、組織化して盲人社会全般を取り仕切る機構だったそうで、最高位の惣検校ともなると中大名と同等の権威・格式が与えられたのだという。

また盲官には私金融を営む権利が与えられ、いわゆる高利貸しを営む者も少なくなかったのだそうだ。



で、本書である。

個人的に戦国時代から江戸前期までの御伽衆を少し調べていてたまたま当道座に行き当たり、「へえ、検校てのはなかなか大層なもんだったんだなあ」と興味を掻き立てられたのが発端で、いくつか検校に関する書籍を入手したうちの一冊がこれだった。

いざ手にとってみるとシリーズ第2弾だったらしく、主人公は闇金の顔を持つ髪結いの青年で、短編連作の全編を通じてその主人公と対峙するのが検校という構図。

これはマズったかなとも思ったのだが、いきなり本書から読んでも特に影響はなく、検校に関する情報も多少は含まれていたのでまあよかったのだが、肝心の内容となるとどうもいけない。

画竜点睛を欠くというか、もっと端的に表現して魂が入っていないというか、江戸庶民の生活をよく描き出しているわりに、主人公の存在意義が薄すぎて迫力もなにもあったもんじゃない。

せっかくのダークヒーロー像が全然生かしきれていないのである。

陰も葛藤もない「必殺仕事人」を想像してもらえれば、だいたいの印象は当たっているだろう。

あたら良い素材を無駄にしてしまった作者には少し失望させられた、というのが正直なところだ。

定番の時代劇を観る感覚で時代小説を楽しみたい人にのみ、おすすめできるのかもしれない。



オススメ度★★



検校の首 江戸の闇鴉2 [ベスト時代文庫] (ベスト時代文庫)/向谷 匡史
¥690
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